手を伸ばす。いのちに触れる。
その日は、思っていたよりなだらかにやってきた。
彼女の、新しいはじまりの日だった。
まだ、明確なことばがあるわけではないのだけれど、書くことでしか触れられないなにか、があるような気がして、少しずつ書き進めてみようと思う。
その日、
私ははじめて彼女にお化粧をした。
振り返ってみると、いちばん印象的だったのは”こわさ”であったと思う。
お化粧を通してだれかの顔に触れる時はいつも、独特の怖さに襲われる。
それはきっと、顔という、その人の神聖な領域に触れることからくるもの。
であるような気がしていた。
だけど、今回のはもっと、ある意味での、畏怖、のような色合いが強かった気がする。
ともに駆け抜けた大学時代を経て、社会へ出るようになってからは、空間を同じくする機会はぐっと減った。
少し離れたところから見える彼女は、とにかく、”日々を生き抜く”、ということに格闘しているようだった。
もしかすると、彼女からみたわたしも、あいまいなくらやみを、ただよっていたのではないかと思う。
離れていても、そんなふうに、これまで不思議と同じ時間を歩いてきたような気がする。
そんな彼女が、ある朝、
初めて妹に髪を切ってもらいたくなったという。
両親が美容師という環境で育ち、”髪を切る”という行為に対して、並々ならぬ想いを抱いていたのを知っていた私は、その景色を想像して、胸がいっぱいになった。
妹という、唯一無二の存在と、より深く繋がって生きていく。
彼女とだから見える景色を信じる。
それはまるで、ほんとうの自分を生きる覚悟のようでいて、そうしないといられない必然性も、あるかのようだった。
そんな、彼女の新しいはじまりを、みんなでお祝いする。
ほとんど祈りのようなひとときだった。
のびていく髪は、
その人が生きた時間そのもの。
髪を切るということは、
すなわち、その人のいのちに触れるということ。
私が、彼女にお化粧をしたのは、
そんな髪を切る、直前のこと。
今から思うと、
私が彼女に触れることで感じたこわさは、
新しい世界へ向かおうとする、むき出しのいのちに触れることからくるものだったのだろうと思う。
それからもうひとつ。
こわさと同時に感じていたのが、
”手を伸ばす”という感覚。
彼女がまなざす光に、私も手を伸ばす。
そういう感覚だった。
その光に触れられたかどうか、実感があるとは言えないのが、正直なところ。
だけどあの時、
一緒に光へ手を伸ばしたあの感覚だけは、
確かなものとして、つよく胸に残っている。
あれから家に帰ってきて、しばらく呆然としたあと、思い立ったように、相棒であるお道具を隅から隅まで、ピカピカに磨いた。
あまりに濃い霧が立ち込めるなか、ずっと私だけの森を探していたあの時間。
不思議と今は、このみちをとにかく歩き続けてみようと思っている。
まるで、ずっとそうしてきたかのように。
日々は、思っているよりも自然で、
ごく普通の顔をしながら、なだらかに続いていく。
見える景色がまるで変わるような、大きななにか、は、そうそう目の前に現れるものではない。
強く願っているときであればあるほど。
なにか変えるのは、いつだって自分自身。
と、長いあいだ思っていたけれど、
”機が熟す”というようなこともまた、ひとつの真実であると思う。
目に写るものを、ささやかな一瞬を、
淡々と、確かに感じながら歩き続ける。
そうしているうちに、
思いもよらないところへ、ひょっと、たどり着いていたりするのではないだろうか。
それでも、ひとりで歩くには、あまりに険しいこの世界のなかで、
一緒に歩きたい、歩いてくれたら、と願う人がいるということは、それ自体が、もっとも大きなことであるように、思う。
きっと大丈夫。これからも、歩いていこう。
胸を張って。
みんなで。 みんなと。 どこまでも。
2021/05/31
すべての景色に、愛をこめて。