日記ぐらいは。

ただただ、移ろいゆくままに。

わたしを生きていくために

どうしても今、書かないといけないことができた。

ここで一度、ケリをつけないといけないことがある。

 

たぶんこれは、決別の書。

 

 

****

 

 

目が開いた。それも強烈に。

きっとこの表現がぴったりだと思う。

 

恐らく5年間くらいの恋人がいない期間のうち、2年間ほど、なんとなく頭の片隅にいた相手がいた。

 

そんな彼が、結婚したのだという。(たぶん)

人伝だったので正確にはわからないけれど、ほぼ100%。

パートナーがいる、という点においてははっきりと100%。

 

私は好きなものに対してのみ、異様に感覚が鋭いので、なんとなく、少なくとも良い相手がいるのだろうという予感はあった。

 

だけどたぶん恋ではないから。

例えばこれが “ほんとう"なら、いつかどうしたって抗えぬような時がくるだろうから。

 

そんな理由で、私の方から強く関わりをもとうとはしてこなかった。

 

だけど、結婚したと耳にしたとき、えも言われぬ動揺が体を駆け巡った。

それだけは紛れもない事実だった。

 

これは一体なんだったのだろうか。

 

彼との出会いは、とある作品だった。

私が苦しい状況にあったとき、そのままを包むことで、そっと救い出してくれた作品があった。

 

それを創っていたのが彼だった。

 

それからとあるきっかけで出会い、数度、ご飯に行ったり、たまにピンと来たときに連絡をとったりするような間柄。

 

交わした言葉が多い訳ではなかったけれど、不思議と彼には大切な話をしたくなった。

 

最初に会った時の衝撃といえばものすごく、関わるようになってからも、なんとなく、不思議なつながりを感じていた。

 

こういうことは、これまでもたまに起こってきた。

何も全部が全部、恋愛関係になるわけではなかった。

 

ある種、弟子が師匠に抱く尊敬の念や、憧れのような時もあるし、家族のような気の置けない関係に発展する時だってある。

 

恋愛対象にもなりうる可能性があるとき、その選択の最善が、”恋人になること”だと思っていないのも事実。

 

では例えば、これが恋ではない、ある種の”憧れと親しみ”が混ざったような感情だったとする。

 

それでは、あの時の強い動揺の正体は、一体なんだったのだろうか。

 

私には思い当たることがあった。

 

浮かび上がってきたのは、「心の依代をひとつ、奪われるような感覚」。

言いようのない不安感、ともとれるようなもの。

 

冒頭で、これが恋なのかよくわからなかったと書いたが、

ここ2年ほど、なんとなく頭の片隅に彼を置いていたのは事実。

 

だけど、積極的に飛び込んでいったりはせず、居心地の良い場所を作っては逃げ込んでいた。私だけの平穏な世界に。

 

どうしてそんなことになったのか。

ここに至るまでの経緯を紐解くには、ひとつ明確にしておかなければいけないことがある。

 

何度か触れてきた「これが恋なのかよくわからなかった」ということについて。

 

私はこの冬で28になる。

これまで恋人がいたこともあったし、恋がどういうことなのかについては、おそらくそれなりの体感はあると思う。

 

では、どういうことだったのか。

実は、彼に対しては、精神的にものすごく惹かれる一方で、「触れたい」という感情がなかったのである。想像さえできなかった。

 

これが恋だとしたとき、ある種とんでもなくアンビバレンスな状態になることと、説明できない感情のギャップに、ずっと頭を悩ませていた。

 

惹かれること自体が稀な分、せっかくそれに似たような気持ちが湧いてきたのに、これは一体なんなのだろうかと。どこまで一筋縄でいかないのだと。

 

だけど、ここへきて、ひとつはっきりしたことがある。

 

実は私は、自ら選んで、その状態を、この場所を作り上げていたのだ。

 

思えば、恋人という深い関わりも、

誰かから女性として見られることさえ

いつのまにか怖くなっていた。

 

かつて、自分の人生がこぼれ落ちてしまうほど

闘いにも似た恋愛期間があったこと。

 

度々、そういう風に思っていない相手から

半ば暴力的な形で気持ちをぶつけられること。

 

そのどれもが、少しずつ絡み合って、知らず知らずのうちに、私の中の本来の恋愛感情、もっというと”女性的なもの”にさえ蓋をしてきたのだと思う。

 

そうやって、私はずっと、この場所を “選び続けていた”のだ。

 

自分のことだけれど、全く気がついていなかった。とんでもない驚きだった。

恋人なんてできるわけが無い。望んでさえいなかったのだ。

結局のところ私は、本当の彼に目を合わせることも、できないでいたのだと思う。

 

その代わりに、いつも私だけの平穏な場所に逃げ込んでいたと言える。

 

きっとあの時の動揺の正体は、いつのまにか心の依代のようなっていた場所が、ひとつなくなることに対しての恐怖と不安感だったのだと思う。

(もっとも、精神的なところに関しては、ある種の失恋感みたいなものも混ざっていたのかもしれないけれど。)

 

 

****

 

 

私は常々、傷には、傷として存在する期限のようなものがあると思ってきた。

なかったことにすると、その期限はどんどん伸びていく。

 

だからちゃんと目前に引っ張り出し、

散々と向き合って、昇華させる必要がある。

 

だけどきっともう、じゅうぶんだ。

これまで、じゅうぶんに闘ってきた。

 

先ほど、”蓋”という表現を使ったけれど、

蓋をしていたのはおそらく恋愛感情だけではない。

 

蓋を作っていたのも、蓋をしていたのも、

私の中にあった様々なことが、複雑に絡み合った結果だと思う。

 

2年ほど前に、体調を崩してから

たぶんその少し前あたりから、

望むように外の世界と歯車が噛み合っていかないことに、私はずっと苦しんでいた。

 

とにかく、ただ闇雲にこわかったのである。

どこへ進むのも。

 

だけど、少しずつ視界が開けてきて、

なんとなく居心地のいい日々が訪れたとき、

今度はその平穏を守るのに躍起になった。半ば無自覚だったが。

 

もちろんこの日々も愛おしい。

いつかの私が、まずはこうなりたいと願っていた日常だ。

 

だけど、健やかな身体を取り戻した今の私が、少し厳しい目で振り返ると、

一方では、まるで日常に溺れるような感覚があったのも確かだ。

 

幸か不幸か、平穏かは分からないけれど、頭の先からつま先まで、鮮烈でいて温かい光がかけめぐる日々があることを、知ってしまっている。

 

そして心のどこかでは、いつかすべてが結実し、縁あって地球に生まれてきたこの生命体を、思い切り生き切る実感を持てる日々がくることを、信じていたのもまた事実だ。

 

頭の片隅に置いた彼を、心の逃避場所にしていた私は、

知らず知らずの間に、受動態の方の”いつか”と彼とを結びつけてしまっていたのだと思う。

 

いつか ”彼” が、どこかへ連れ出してくれるのではないだろうか、

というように。

 

本当に危ないところにいた。すんでのところだったと思う。

 

望む未来はきっと、いつだって自分のなかにある

私は元来そう考えてきた人間だったということを

この数年の間に、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 

****

 

これまで、ことあるごとに、”こわかった”という表現を使ってきた。

もしかするとそれが、歳を重ねる、ということのひとつの側面なのかもしれない。

 

だけど今、強く感じているのは、「自分の中に流れている空気を、根底から動かす時が来たのだ」ということ。

今感じている突き抜けるような清々しさが、何よりの証拠だと思う。


ここまで、本当に長い道のりだった。

 

またこんな風に思える日が来るなんて、渦中の私に伝えるとどんな顔をするだろう。

 

いつだって、その時はやってくるのである。

 

そして、ここまで振り返ってきた今、

もう目を背けられないほど確かな感情が、ここにある。

 

やっぱり私は、お互いが ”ともに生きていくこと” を選び、深く関わり合うような関係性も信じていきたいのだ。

 

これだけ”こわい”という感情が育っていた、ということはまた、

それだけ大切にしてきた、ということの裏返しでもあるだろう。

 

そして、そうまでしても守らないといけないものが、きっとあったのだと思う。

 

だけどもう大丈夫。

 

私は、私の中にある、”女性的なもの”をもう抑えなくていいのだ。

女性的なもの、どころか、もうなにも。

 

必要じゃないものは跳ね返していけるし、

本当に大切なものは、もっと光り輝いていくはずだ。

 

私は、私を生きていく。

 

ようやく、瞳を、心を、自分の手の中に取り戻した今。

生きていくために、なにをするか。なにをしたいのか。

 

それがもっと輪郭を帯びたとき、

きっと今の私が、どんな風に人を愛したいのかも見えてくる気がしている。

 

今、浮かび上がる微かな想いを胸に。

 

ここから、新たな旅がはじまる予感がしている。

 

 

****

 

 

PS:to my such a lovely days and  all of my besties.

 

もちろん、いまでも恋愛がすべてだとは思っていない。

無理矢理にするものでも、ないと思う。

 

恋人がいなくても、愛おしい毎日を過ごせることは、この5年間が証明してくれた。

 

恋愛をしていないことと、ひとりであることは決して同義ではない。

(この世にひとりで生きている人なんてほとんどいないだろうし、人間はみんな、ひとりであるとも言える。)

 

恋愛感情ではないかもしれないけれど、今も私のなかにはたくさんの愛が、いろんな形で存在している。

 

そのどれが欠けても、私はいないと思う。

たぶん、歩くことすらできなかったと思う。

 

みんなの深くて温かい、尽きることない愛情が、もう一度私を信じ切る勇気を育んでくれていたのだ。

 

だから今ここで、これまで私を守ってくれた ”こわさ”を、ついに手放そうと思う。

こわさだけでなく、思い込みや決め付け、知らず知らずのうちに手にしていた数々の制限さえも。

 

もう一度、生まれてきた時のように

曇りなき眼で、この世界を見つめる時がやってきた。

 

こわいものはない。

私は今日も、こんなにも沢山の愛の中で生きている。

 

いつだって、その時はやってくる。

図らずも、大切な存在である彼からその機会をもらえたことを、今はもう少しだけ、眺めていたいと思う。

 

恋や愛やが関係なくなったとき、彼とはようやく本当の関係がはじまる気もしている。それだって心から楽しみだ。

 

これは、決別の書。

そして、新しい私への誓いの書だ。

 

 

****

 

 

2021/09/02 愛を込めて。

 





 

********

 

PS :少し経って、思い返したこと。

 

「これが恋かどうか分からなかった」という状態と、その解釈について。

本文の中で、もし恋だとしたら、精神的な恋愛感情と「触れたい」という感情が結びつかないということは、ある種アンビバレンスな状態なのではないか、と書いた。

し、実際そう感じてもいた。

 

だけど、もしかしたらそれも、思い込みのひとつだったのかもしれない。

 

これについて考えるとき、思考の拠り所の多くは私の経験則が占めていたが、

やっぱり、"こうあるべきだ" 、という社会通念のようなものも、少なからず関与していたと思う。

 

例えば、恋愛をしていないから、ひとりである、なんてことは絶対にないし、(意味がわからないし)

結婚だけが誰しもにとっての、人生史上最大の幸せであるわけもない。

 

それと同じように、恋愛とは、恋愛感情と性的欲求が同居するもの、と言い切ることもまたできないだろう。

 

少なからず、この社会に足をつけて生きるからには、色んな枠組みや社会通念から完全に距離を取ることは、限りなく難しいのかもしれない。

 

だけど、誰と比べるでもない、ここにいる自分から生まれる感情や違和感に誠実であること、それがどこから生まれていそうかを考えてみること、そしてその時々での最適な選択を考え続けることだけは、やっぱり手放したくないと思う。(これは恋愛に限らず。)

 

そうやって、本来は限りなくグラデーションであるはずの世界を、ときに漂い、ときに色付きながら進んでいく。

 

それはもしかすると、ある苦しさも伴うのかもしれないが、私にとっては、あるものを見ないふりして、擬態するよりはよっぽど健やかな態度であるように思うのだ。

 

そしてこの振り返りは、

 

あの時の私にできなかった、

"生まれてきた感情を、そのままに見つめ、まずは信じてみる" という態度を捉え直すためのものだったのかもしれない。

 

ときに決心しながら、またゆらぎながら。

 

そうやって疲れたら、またここへ帰ってくるのもいいだろう。

 


まあゆっくりと行こうじゃないか。

 

 

2021/09/04 あとがき的なもの。高野山へ向かう電車のホームにて。(乗り換えにまさかの50分待ち!)

 

 

手を伸ばす。いのちに触れる。

その日は、思っていたよりなだらかにやってきた。

彼女の、新しいはじまりの日だった。

 

まだ、明確なことばがあるわけではないのだけれど、書くことでしか触れられないなにか、があるような気がして、少しずつ書き進めてみようと思う。

  

その日、

私ははじめて彼女にお化粧をした。

 

振り返ってみると、いちばん印象的だったのは”こわさ”であったと思う。

 

お化粧を通してだれかの顔に触れる時はいつも、独特の怖さに襲われる。

 

それはきっと、顔という、その人の神聖な領域に触れることからくるもの。

であるような気がしていた。

 

だけど、今回のはもっと、ある意味での、畏怖、のような色合いが強かった気がする。

 

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ともに駆け抜けた大学時代を経て、社会へ出るようになってからは、空間を同じくする機会はぐっと減った。

 

少し離れたところから見える彼女は、とにかく、”日々を生き抜く”、ということに格闘しているようだった。

 

もしかすると、彼女からみたわたしも、あいまいなくらやみを、ただよっていたのではないかと思う。

 

離れていても、そんなふうに、これまで不思議と同じ時間を歩いてきたような気がする。

 

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そんな彼女が、ある朝、

初めて妹に髪を切ってもらいたくなったという。

 

両親が美容師という環境で育ち、”髪を切る”という行為に対して、並々ならぬ想いを抱いていたのを知っていた私は、その景色を想像して、胸がいっぱいになった。

 

妹という、唯一無二の存在と、より深く繋がって生きていく。

彼女とだから見える景色を信じる。

 

それはまるで、ほんとうの自分を生きる覚悟のようでいて、そうしないといられない必然性も、あるかのようだった。

 

そんな、彼女の新しいはじまりを、みんなでお祝いする。

ほとんど祈りのようなひとときだった。

 

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のびていく髪は、

その人が生きた時間そのもの。

 

髪を切るということは、

すなわち、その人のいのちに触れるということ。

 

私が、彼女にお化粧をしたのは、

そんな髪を切る、直前のこと。

 

今から思うと、

私が彼女に触れることで感じたこわさは、

新しい世界へ向かおうとする、むき出しのいのちに触れることからくるものだったのだろうと思う。

 

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それからもうひとつ。

 

こわさと同時に感じていたのが、

”手を伸ばす”という感覚。

 

彼女がまなざす光に、私も手を伸ばす。

そういう感覚だった。

 

 

その光に触れられたかどうか、実感があるとは言えないのが、正直なところ。

 

 

だけどあの時、

一緒に光へ手を伸ばしたあの感覚だけは、

確かなものとして、つよく胸に残っている。

 

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あれから家に帰ってきて、しばらく呆然としたあと、思い立ったように、相棒であるお道具を隅から隅まで、ピカピカに磨いた。

 

あまりに濃い霧が立ち込めるなか、ずっと私だけの森を探していたあの時間。

 

不思議と今は、このみちをとにかく歩き続けてみようと思っている。

 

まるで、ずっとそうしてきたかのように。

 

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日々は、思っているよりも自然で、

ごく普通の顔をしながら、なだらかに続いていく。

 

見える景色がまるで変わるような、大きななにか、は、そうそう目の前に現れるものではない。

強く願っているときであればあるほど。

 

なにか変えるのは、いつだって自分自身。

 

と、長いあいだ思っていたけれど、

”機が熟す”というようなこともまた、ひとつの真実であると思う。

 

目に写るものを、ささやかな一瞬を、

淡々と、確かに感じながら歩き続ける。

 

そうしているうちに、

思いもよらないところへ、ひょっと、たどり着いていたりするのではないだろうか。

 

 

それでも、ひとりで歩くには、あまりに険しいこの世界のなかで、

一緒に歩きたい、歩いてくれたら、と願う人がいるということは、それ自体が、もっとも大きなことであるように、思う。

 

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きっと大丈夫。これからも、歩いていこう。

 

胸を張って。

 

みんなで。  みんなと。 どこまでも。

 

 

 

 

2021/05/31

すべての景色に、愛をこめて。

じいじと私のさんぽみち

 

最寄りの駅を出て左。

山の方へずっと上がっていく一本道。

 

通学や仕事に。

人に会いに。買い物に。

 

目的地ができるようになってからは、そっちの方へ上がっていくことはもうないけれど。

ふと目に入るたびに、あの頃の記憶が蘇ってくる。

 

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じいじは、まだ小さかった私を、よく散歩に連れて行ってくれた。

 

今日はこの辺り。

次はあの角を右に曲がるところから。

 

今から20年ほど前、家の周りはまだほとんどが畑か山で、そのすべてが私にとって絶好の遊び場だった。

 

帰りには決まって、その日の成果を意気揚々と報告しあう。

 

美味しそうな果物。

裏道や、抜け道なんかを見つけた日には大興奮。

 

新しいものを見つけるたびに増えていく、私たちだけのささやかな秘密。

 

 

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記者として、長く働いていたじいじ。

散歩といえば可愛いけれど、思い返せば、あれはさながら取材のようだったとも思う。

 

ひとつの街を、いろんな角度から見つめる。

こうだと思っていたことに、色んな枝葉がつく。

ときには、枝葉だなんて呼べないような発見も。

 

そんなことを繰り返すうち、知っていたはずの街の姿は大きく変わっていく。

 

 

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あのとき、夢中になって繰り出していたじいじとの散歩は、”想像力を羽ばたかせる”という形で、今なお私の大切なところに息づいている。

 

(あれから時が過ぎて、街の景色もすっかり変わって、一面にあった畑もほとんどなくなってしまったけれど、不思議と今でも、”この街”として思い浮かべる景色は、あの頃のままだったりする。)

 

 

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じいじのぼけがはじまったと聞いた。

 

じいじと私は、同じ誕生日に生まれた不思議なご縁。

昔は気難しくて大変だったというけれど、私の脳裏に焼きついているのは、あの好奇心たっぷりな目と、嬉しそうな笑い声と、新聞の匂い。

 

きっとそれは、これからもずっと、変わることはないと思う。

 

あらゆるものが速度を増す、こんな時代だからこそ。

歩くような速さでこそ見えてくるものがあるということを、どうか忘れずにいられたら。

 

私たちが生まれた今日の日に。

おめでとうと、ありがとう。

 

 

2020.12.20 

 

 

 

 

手にしたのは、ささやかなともしび。

「あれから1年」

それが頭をよぎる度に、私の方にも思うことがあった。

 

あれから1年。

さて、私はちゃんと進めていただろうか。

 

 

 

 

はからずも今日、大切な人と連絡をとった。

 

私たちは毎日連絡して、しょっちゅう会うような関係ではないが、ここぞ、と言うタイミングに引き合い、共鳴し合う、少し不思議な関係だ。

むしろその、ここぞと言うタイミングに深く共鳴し合うからこそ、普段は離れていても、不思議とどこかで繋がっている感覚がある。

 

ソウルメイト、と言う言葉は使い古されているし、なにより少し気恥ずかしい感じがするので、そんな言葉で表現したくはないが、もしそれが本当にあるなら、こんな感じかもしれないと思うような相手だ。

そんな彼女と宝物のようなメッセージを交わした。

 

 

 

 

時に人は、霧のかかった森に入り込む。

森が深ければ深いほど、湧き上がる不安や、戸惑い、焦りなどをよくないものと否定して、重い蓋をしたくなる。

前を向くことだけに躍起になり、光がかったものだけを信じたくなる。

だけど、やがて霧がかすみ、視界がひらけてくると、重い蓋をした感情たちがどれだけ輝いていたかということに気がつく。

 

 

ここで思い返されるのが、欠けたものを捨てずに、継ぎなおすという美しい日本の文化。

金継ぎを経て生まれ変わったうつわは、欠けるということ、それ自体が美しいことだと思わせるほど輝きを放つ。

本当は感情だって、いや人そのものだってそうではないだろうか。

 

 

 

少し前、ついにそんなわたしの”金色”の部分が、ずっと探していた言葉と出逢わせてくれることになった。

ある時には深い森を彷徨ってまで追い求めていたことに、別の角度から光が当たった瞬間だった。

 

 

そんな大切な言葉を彼女と交わし、私たちはまた深く響き合う瞬間を得た。

彼女のなかにもおそらく、かけがえのない”金色”があったのだと思う。

 

 

 

森が導いてくれた光。

「あれから1年」の今日、はからずも交わした彼女との会話から浮かび上がったのは、私の手には今、ささやかだけれど、確かな光があるという実感だった。

 

それはもちろん、彼女の手の中にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

この光を手に、私は、私たちは、明日をすすむ。

 

このささやかな灯火が、誰かの大いなる太陽になるときを信じて。

 

 

 

 

2020.01.27

愛を込めて

ゆらぐほどに愛おしい、ある夏の記憶。

今も鮮明に鳴る声、いびつだけど愛おしい温度、全てを包み込むやさしい熱…..

 

今から書くのは、心と言葉のはざまを今もただよう、大切な思い出。

 

とはいえ記憶としてとっておくにはあまりに勿体無いので、いつかの私にそっと手紙を送るような気持ちで記していこうと思う。

 

 

この夏、私は石川県輪島市の「輪島大祭」というお祭りに参加することになった。

友人の町内のキリコ(お神輿のようなもの)が10年振りに復活するという。

声をかけてくれたときから、これまでの長い歴史の上で、そんなにも大切な瞬間に参加できるということに、私は形容するにはあまりに大きな気持ちに包まれていた。

 

振り返ってみると、はじまる前からすでに、心と言葉のはざまをゆらいでいたのだと思う。

だけど私にとって、そして私たちにとって、きっと特別なものになるという高揚感だけはたしかに存在していた。

 

 

そんな、どうしても残しておきたかったお祭りの記憶。

だけどどれだけ時間が経っても、一向に言葉になる気配がない。

 

あまりにも濃密な時間は、鮮明に覚えていられるような、どこか物質的なものではなく、もっと細かい、例えるなら粒子のようなものに変換されて、体の深い部分に刻み込まれていくのか….

 

 

これはおそらく、初めての経験。

私を私として形作る、そんな根幹の部分に吸収されていったような気がする。

 

 

 

 

だけどひとつだけ、どうしても書いておきたいことがある。

実は、今年に入ってから、いやおそらくその前から、私の中に言葉がなくなっていることに薄々気が付いていた。これは今まで何度かでてきた「言葉」とはまたちがう種類のもの。

きっと、心が止まってしまっていたのだと思う。

私にとってはそれが人生すべてであるかのような言葉が、全く出てこなくなってしまっていた。

 

それはまるで、深い霧の中にひとり。呆然と立ち尽くすような。

どこを向いても、動いていかない。

あれだけ好きだと思っていた何かにも。

 

森を歩き始めた理由である体の大きな変化は、おそらくここからはじまっているのではないかと、ようやく受け入れられるようになったのがその頃のこと。

 

そんな私に訪れた、夏の終わりのやさしい熱狂。

 

あれから少しずつ私は私を取り戻し始めている。

この夏の記憶のすべてがいま、ゆるぎないエールのように輝きを放ちはじめ、あれだけ動いていかなかった時間が、動き出している音を全身で感じているところだ。

 

 

ひとりではなく、みんなとだから見られた〝お祭り〟の景色。

 

 

何者でもない、ただひとりの私をそのまま包んでくれる場所。

そんな場所がたしかにあると言えるこの人生は、どれほど美しいものだろう。

 

 

いまも言葉にならないほど、心が動いたこの夏。

それだけで私は今日も歩いていける気がする。

 

 

 

あれから少し時間が経って、私の中にほんのりと湧き上がる、この〝言葉〟を胸に、これからどこに向かおうか。

 

どこへだって行ける気がする。

 

 

 

 

 

2019.10.03

この夏とそのあとのすべてに、愛を込めて。

わたしは今日も、森をあるく。

それは突然だった。

いや、今から思い返すとサインはあちこちに出ていたのだが、まったく見ないふりをしていた私には本当に突然のことに思えた。

 

歩けないのである。

お腹に、それも下腹部に鈍痛のような、針で突かれるような、または絞りとられるような痛みが走るせいで。

 

元々体に自信があるかと聞かれたら、少し悩むぐらいにはよく倒れていた。

しかし、心は元気かつ、射手座体質で、”そういうもの”とする能力と、その瞬間を過ぎ去ると”なかったことにする”能力ばかりが異様に長けてしまっていた。

 

さらには身の回りのものを徐々にナチュラルな製品に変え、口に入れるものや身に触れるものにも気を配るようになった辺りから、私の体は少なからずクリアになっていると信じてさえいた。

 

しかしその時はやってきた。

あまりにもひどい激痛に立ちすくむ。歩くことはおろか、座ることさえままならない。

これが月に1度なら理解もできるが、状況はどんどん悪化し、バイオリズムなんてあったものじゃない、もう毎日どこかしらが痛いのである。

 

女性として生きることを結構楽しんでいた私は、初めて女性の体を呪った。

 

怖いイメージばかりが先行し、なかなか行く決心できなかった病院では、やはりそれなりの診断を下された。

しかし、想定していたそれよりは、とても、とても救われる内容だった。

少なくとも、私は自分の体のままこの先も過ごせるということ、そして、おそらく子供も産めないということはないこと、このふたつが私のあまりに膨らんだ不安を解き放ち、大きな希望になってくれた。(そして、怖いイメージばかりが先行と書いたが、優しく、丁寧かつ分かりやすい説明と共に患者に寄り添ってくれる女医さんのおかげで、そのイメージは大きく変わることになった。このすべての巡り合わせには、本当に感謝してもしきれない。)

 

ちなみに、今現在私に結婚を考えるような相手はいない。つまりふたつ目にあげた子供のことを現実的に考えたことはなかった。むしろいつか、ご縁があったら、くらいの気持ちでいたのが本当のところ。

 

しかし、今回のことで、「産まない」というのと、「産めない」というのにはあまりにも果てしない距離があることがわかった。

それまでどこか共感のなかにすこしの傍観が混ざっていた世界が、ぐっと私に近づいた瞬間だった。

 

では、ここからどうするか。

ある意味ここが出発点である。

 

ここまで書いてみて思ったが、森を歩く、というタイトルをつけながら、実際にここで森を歩き始めるのはもう少し先になりそうだ。

 

と言いながら、意外と次で歩き出していそうな気もする。

 

とにかく、そんなこんなで、少しずつ、ゆるゆると、いま感じていることや試していることを書き記していこうと思う。

 

 

満月のよるに。

久しぶりに、書きたくなった。

 

1ヶ月ほど前に飲み始めた薬が原因か、それとも満月か。

 

体に”なにかしら”が溜まっていく感覚と、夜になるたびに訪れる重い頭痛に悩まされていた。

 

どうやら、スーパームーンから夏至の間は、体がデトックスしようとして心や体、ありとあらゆるところから要らないものを出そうとするらしい。

 

そのせいか、そのせいではないのか、気づきたくないことに沢山気付かされることになった。

だけどその中に、少しだけ気づきたかったことが混ざっていたような気もした。

苦しかった。だけどそんな生みの苦しみの渦中から少しだけ、足のつま先の先だけ、出たような気が、少なくとも今はしている。

 

だけど振り返ってみると、このところもうずっと、そんな所にいる気さえする。

本当に些細な、だけど私にとってはそれすらが全てではないかと思うような声が、言葉が出てこなくなった辺りから、どうしたものかとは思っていたけれど。

 

 

もうずっと、森を探している。

 

 

星に詳しい友人は、今年は私の星が木星に入るから、自分らしい魅力が輝く1年になると言ってくれた。

 

しかし、想像していたそれよりも、今はもっと、ザラッとしている。

 

しかし、今こそが種まきの時期であるとも信じたい自分がいる。

「自分らしい魅力が輝く」というところへ向かうための。

 

どうだろう。もうずっと種を蒔いているような気もするが。

 

 

体が不調を発したことがきっかけだったのか、それとも別の何かがあって、体が不調を通してそれを伝えようとしているのか。

 

とにかく、今年に入ってからは闇雲に調子が悪かった。

 

 

私の人生には時々、雷のような衝撃が走る。

 

 

そしてその衝撃は、程なくして森を連れてくる。

だが、どういうわけか、それは一見巨大な森のように見えて、林で終わることが多い。

 

林のように見えて、実は想定するそれよりもっと巨大な森を歩いているのだとすれば、そうなのかもしれないが、少なくとも今の私にはそうは思えない。

いつからか私の奥底を支配している”退け目”のようなものはきっと、世界に対してではなく、他でもない、自分に対しての眼差しだ。

 

しかし今、ほんのりと香るこの光をたどって、また目の前に開けた世界から、なにを選び、なにを取り込み、どこに向かうのか。

 

それはいつだって私の意志に委ねられている。

 

歩もうとすること。

諦めないこと。

思い描くこと。

 

人生は始まったばかり。

少なくとも、2ヶ月ほど前にあった大きな岐路で、私はまだ、自分の身体のまま歩むことを許されている。

 

森を探すこの時間さえも、いつか愛おしく思い返すような、そんな未来に心を寄せて。

 

そして、何者にも代えがたいはずの、”今”この瞬間に、大きな希望を。