日記ぐらいは。

ただただ、移ろいゆくままに。

満月のよるに。

久しぶりに、書きたくなった。

 

1ヶ月ほど前に飲み始めた薬が原因か、それとも満月か。

 

体に”なにかしら”が溜まっていく感覚と、夜になるたびに訪れる重い頭痛に悩まされていた。

 

どうやら、スーパームーンから夏至の間は、体がデトックスしようとして心や体、ありとあらゆるところから要らないものを出そうとするらしい。

 

そのせいか、そのせいではないのか、気づきたくないことに沢山気付かされることになった。

だけどその中に、少しだけ気づきたかったことが混ざっていたような気もした。

苦しかった。だけどそんな生みの苦しみの渦中から少しだけ、足のつま先の先だけ、出たような気が、少なくとも今はしている。

 

だけど振り返ってみると、このところもうずっと、そんな所にいる気さえする。

本当に些細な、だけど私にとってはそれすらが全てではないかと思うような声が、言葉が出てこなくなった辺りから、どうしたものかとは思っていたけれど。

 

 

もうずっと、森を探している。

 

 

星に詳しい友人は、今年は私の星が木星に入るから、自分らしい魅力が輝く1年になると言ってくれた。

 

しかし、想像していたそれよりも、今はもっと、ザラッとしている。

 

しかし、今こそが種まきの時期であるとも信じたい自分がいる。

「自分らしい魅力が輝く」というところへ向かうための。

 

どうだろう。もうずっと種を蒔いているような気もするが。

 

 

体が不調を発したことがきっかけだったのか、それとも別の何かがあって、体が不調を通してそれを伝えようとしているのか。

 

とにかく、今年に入ってからは闇雲に調子が悪かった。

 

 

私の人生には時々、雷のような衝撃が走る。

 

 

そしてその衝撃は、程なくして森を連れてくる。

だが、どういうわけか、それは一見巨大な森のように見えて、林で終わることが多い。

 

林のように見えて、実は想定するそれよりもっと巨大な森を歩いているのだとすれば、そうなのかもしれないが、少なくとも今の私にはそうは思えない。

いつからか私の奥底を支配している”退け目”のようなものはきっと、世界に対してではなく、他でもない、自分に対しての眼差しだ。

 

しかし今、ほんのりと香るこの光をたどって、また目の前に開けた世界から、なにを選び、なにを取り込み、どこに向かうのか。

 

それはいつだって私の意志に委ねられている。

 

歩もうとすること。

諦めないこと。

思い描くこと。

 

人生は始まったばかり。

少なくとも、2ヶ月ほど前にあった大きな岐路で、私はまだ、自分の身体のまま歩むことを許されている。

 

森を探すこの時間さえも、いつか愛おしく思い返すような、そんな未来に心を寄せて。

 

そして、何者にも代えがたいはずの、”今”この瞬間に、大きな希望を。