日記ぐらいは。

ただただ、移ろいゆくままに。

ナラタージュと、わたし

ずっと、書こうと思っていたことがあった。

 

それは私の、おそらくひとつ前の、恋のこと。

 

終わりでもあれば、始まりでもあって、衝動でもあった恋。数は多くなくても、このひとつで、誰かの一生分の景色を見た気さえする、不思議な時間。

 

手に届いていたようで、今もまだ届かなくて、どこまで続いているんだろうというくらい深くて。

 

こうやって何度も、何かのきっかけで触れなおして、吟味しては新しい答えを手にするような気がする恋について。

 

どうしてこんなに、何度もこの恋に出逢い直すんだろうと振り返ると、それはきっと、今の私の、全てのはじまりをくれた人だったからというひとつの答えに辿り着く。

 戦って、とにかく戦って、時に自分がすり抜けていった、そんな時間がなかったら、きっともっと何もかも、すぐそばにある”当たり前”を選んでいたと思う。

 

 

今の私に湧き上がる、”自分らしく生きたい”という願いも、”美しさ”をめぐる想いも、という、あの3年間と、それを咀嚼したそのあとの時間がなければ、きっと私のものではなかったと思う。

 

なぜ今になって、それも、区切りをつけてからおよそ4年目を迎えるほど時間が経って、こんなにもあの時間が思い返されるのか。

 

 

 

時は、去年の5月に遡る。

 

私は、1本の映画に出逢った。

それは、『ナラタージュ』という作品。

 

先生に恋をしていた生徒が、卒業して大人になってから再び先生に出逢い、想いを加速させていく。ひとつ恋の、始まりから終わりまでを描いた作品。

 

 

予告を見ただけでは、話の全貌はわからなかったし、公開の1年ほど前に原作を読んだ時には、葉山先生の煮え切らなさにイライラしたことが記憶の片隅にあったのも相まって、全部見切れるのか少し心配もしていた。

 

 

だけど、結果的にこの作品は、私にとって、おそらく人生の1本であると言い切れるくらいの大きな出逢いになった。

 

 

それくらい、この映画では不思議なくらいそこに自分がいたし、設定は違えども、自分を重ねて観る時間があまりにも多かった。

 

 

目線、言葉、想いの波間、衝動。

 

 

そのどれもが、あの時間を彷彿とさせ、彼の姿を、当時の私の目を、怖いほどに蘇らせた。

 

多分、今までに観た映画の中で、あんなにも涙したのは、立ち上がれなくなったのは、今までの人生の中ではこの1本だけ。

 

それくらい、衝撃的な作品だった。

 

 

たぶん、それまで私はあの恋のことを、心のどこかで否定してしまっていた。友人からは応援されるどころか心配され、私自身は自分をすり抜けていく。そんな恋に意味なんてあったのだろうかと。いつしか恋そのものにも懐疑的になってしまっていた。

 

 

だけど、私はナラタージュを通して、泉の目を通して、ああ、きっと私は、彼を愛していたんだということに、こんなにも時間が経って気がついたのだ。

 

 

こんなに時が経って、本当の意味であの恋を受け入れ、ひとつの大切な時間として昇華することができたのだ。

 

 

 

一般的にみると、この話は不倫ともとられるし、先生と生徒の禁断の愛ともとれる。

そういう、いわゆるイロモノ系や不倫系の話は描かれ方によっては私は苦手で。ああ、またそれねって。もういいよって。

 

だけど不思議と映画で見た葉山先生にはそうは思わなかったし、不倫という色を強く出すというよりは、この作品からは愛そのものを映し出したいという意気込みを強く感じた。

 

 

もしこの作品が、エゴイスティックな感情ベースに泉を振り回す構成ならまず観てもいなかったと思うけど、おそらく2人は感情の波間にであっていて、それは言語化できる領域じゃなくて、だけどお互いが、確かにそこにある自分の気持ちに寄り添ってくれる相手であったことは確かで。

その曖昧さとか、移ろう感じがあまりにもリアルで、人間らしくて。

 

 

きっとこれから先、人生のいろんなタイミングでまた見返すことになるんだろうなというあまりにも大切な一本になった。(初めて映画のDVDも買ったしね。)

 

 

 

さて、その後の私はというと、あれ以来、正直怖さも相まってか、この人という人にはまだ出会えていない。

 

だけど、少なくとも、あの時間のことを言葉にしてみようと思った時点で、少しずつ前に向かっていることは間違いないし、人生の中で、苦しい瞬間も含めて、美しい景色を見せてくれた彼には大きな感謝を持って、また新しいところに一歩ずつ向かっていけたらと思っている。

 

 

それでもたぶん、この人だって人に出会ったらまた泣くんだろうなと思う。

だから、間違ってなかったんだって、あの時の自分にそっと伝えられるような、そんな美しい選択を。

そして私自身も、もっともっと、強く、優しい人になれるように。

 

 

ナラタージュと、これまでの想いに愛を込めて。