日記ぐらいは。

ただただ、移ろいゆくままに。

じいじと私のさんぽみち

 

最寄りの駅を出て左。

山の方へずっと上がっていく一本道。

 

通学や仕事に。

人に会いに。買い物に。

 

目的地ができるようになってからは、そっちの方へ上がっていくことはもうないけれど。

ふと目に入るたびに、あの頃の記憶が蘇ってくる。

 

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じいじは、まだ小さかった私を、よく散歩に連れて行ってくれた。

 

今日はこの辺り。

次はあの角を右に曲がるところから。

 

今から20年ほど前、家の周りはまだほとんどが畑か山で、そのすべてが私にとって絶好の遊び場だった。

 

帰りには決まって、その日の成果を意気揚々と報告しあう。

 

美味しそうな果物。

裏道や、抜け道なんかを見つけた日には大興奮。

 

新しいものを見つけるたびに増えていく、私たちだけのささやかな秘密。

 

 

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記者として、長く働いていたじいじ。

散歩といえば可愛いけれど、思い返せば、あれはさながら取材のようだったとも思う。

 

ひとつの街を、いろんな角度から見つめる。

こうだと思っていたことに、色んな枝葉がつく。

ときには、枝葉だなんて呼べないような発見も。

 

そんなことを繰り返すうち、知っていたはずの街の姿は大きく変わっていく。

 

 

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あのとき、夢中になって繰り出していたじいじとの散歩は、”想像力を羽ばたかせる”という形で、今なお私の大切なところに息づいている。

 

(あれから時が過ぎて、街の景色もすっかり変わって、一面にあった畑もほとんどなくなってしまったけれど、不思議と今でも、”この街”として思い浮かべる景色は、あの頃のままだったりする。)

 

 

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じいじのぼけがはじまったと聞いた。

 

じいじと私は、同じ誕生日に生まれた不思議なご縁。

昔は気難しくて大変だったというけれど、私の脳裏に焼きついているのは、あの好奇心たっぷりな目と、嬉しそうな笑い声と、新聞の匂い。

 

きっとそれは、これからもずっと、変わることはないと思う。

 

あらゆるものが速度を増す、こんな時代だからこそ。

歩くような速さでこそ見えてくるものがあるということを、どうか忘れずにいられたら。

 

私たちが生まれた今日の日に。

おめでとうと、ありがとう。

 

 

2020.12.20