わたしは今日も、森をあるく。
それは突然だった。
いや、今から思い返すとサインはあちこちに出ていたのだが、まったく見ないふりをしていた私には本当に突然のことに思えた。
歩けないのである。
お腹に、それも下腹部に鈍痛のような、針で突かれるような、または絞りとられるような痛みが走るせいで。
元々体に自信があるかと聞かれたら、少し悩むぐらいにはよく倒れていた。
しかし、心は元気かつ、射手座体質で、”そういうもの”とする能力と、その瞬間を過ぎ去ると”なかったことにする”能力ばかりが異様に長けてしまっていた。
さらには身の回りのものを徐々にナチュラルな製品に変え、口に入れるものや身に触れるものにも気を配るようになった辺りから、私の体は少なからずクリアになっていると信じてさえいた。
しかしその時はやってきた。
あまりにもひどい激痛に立ちすくむ。歩くことはおろか、座ることさえままならない。
これが月に1度なら理解もできるが、状況はどんどん悪化し、バイオリズムなんてあったものじゃない、もう毎日どこかしらが痛いのである。
女性として生きることを結構楽しんでいた私は、初めて女性の体を呪った。
怖いイメージばかりが先行し、なかなか行く決心できなかった病院では、やはりそれなりの診断を下された。
しかし、想定していたそれよりは、とても、とても救われる内容だった。
少なくとも、私は自分の体のままこの先も過ごせるということ、そして、おそらく子供も産めないということはないこと、このふたつが私のあまりに膨らんだ不安を解き放ち、大きな希望になってくれた。(そして、怖いイメージばかりが先行と書いたが、優しく、丁寧かつ分かりやすい説明と共に患者に寄り添ってくれる女医さんのおかげで、そのイメージは大きく変わることになった。このすべての巡り合わせには、本当に感謝してもしきれない。)
ちなみに、今現在私に結婚を考えるような相手はいない。つまりふたつ目にあげた子供のことを現実的に考えたことはなかった。むしろいつか、ご縁があったら、くらいの気持ちでいたのが本当のところ。
しかし、今回のことで、「産まない」というのと、「産めない」というのにはあまりにも果てしない距離があることがわかった。
それまでどこか共感のなかにすこしの傍観が混ざっていた世界が、ぐっと私に近づいた瞬間だった。
では、ここからどうするか。
ある意味ここが出発点である。
ここまで書いてみて思ったが、森を歩く、というタイトルをつけながら、実際にここで森を歩き始めるのはもう少し先になりそうだ。
と言いながら、意外と次で歩き出していそうな気もする。
とにかく、そんなこんなで、少しずつ、ゆるゆると、いま感じていることや試していることを書き記していこうと思う。